転職・転機ととも変化した仕事に対する姿勢や意識。逃げたから新たな挑戦ができた話

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今回は、転機と原点回帰が重なった出来事について書きます。

結論を先に書くと、仕事に対する挑戦と逃げは表裏一体では、

と思うに至った話です。

経験談として、一読していただけたら嬉しく思います。

ブログに書こうと思ったきっかけ

1993年に大学を卒業して、就職した建設会社で最初に赴任した勤務先は、

福島県内のゴルフ場建設現場でした。

その約半年後に別の現場に異動したため、以後そのゴルフ場とは無縁となります。

2021年10月、知人に1泊2日でのゴルフに誘っていただきました。

1日目は栃木県、2日目は県境を越えて福島県のゴルフコースの予定です。

その2日目のコースが、偶然にも私が最初に赴任したゴルフ場でした。

何故、この出来事を冒頭に書いたかというと...

それは私にとって、仕事を辞めるという4度目の転機が訪れた絶妙なタイミングで、

社会人スタートの地(原点のゴルフ場)に、プレイする形で初めて戻ること、

このことが色々と思い起こさせるきっかけになったからです。

社会人4度の転機と意識変化

1度目は、建設会社入社後初配属

2度目は、建設業から飲食業へ転職

3度目は、社員から飲食業オーナー(経営者)へ

4度目は、経営者を辞めた今

この4度の転機の時の、仕事に対する考えや姿勢の変化について触れます。

転機1度目 新卒で初めての就職(受け身)

最初の赴任地はゴルフ場建設現場。

新入社員だから仕事は勝手に与えられて教えてもらえる。受け身の姿勢。

待っていれば自然と先輩が仕事を与えてくれ、徐々に身につくだろうという考え。

その頃の私は、仕事を奪いに行く姿勢がないのはもちろんですが、意識もお手伝いレベルだったのだと思います。

自分では、その姿勢の間違いに気付かぬまま、上司との考課面談を向かえました。

実力も積極性も無いくせに、お手伝いできる自信だけは有ったため、同世代が少ない現場への異動を、その面談で上司に直訴しました。

私の物足りない部分に関しては元々上司もそう感じていたため見事念願かなって、

人が少ない現場に、ほとんど何もわからない状態での異動が決まりました。

この後は無事、必然的に受け身の姿勢から脱皮し始めました(苦笑)

転機2度目 建設業から飲食業へ転職(不安からの挑戦)

1999年に建設業から飲食業に転職。

バブルがはじけてから数年、建設業界にも淘汰の波が訪れていました。

私が所属していたゼネコンも例外ではなく、ついには会社更生法適用。

私世代の社員はリストラの対象ではありませんでしたが、

10歳以上の先輩の方々は、リストラの風に戦々恐々でした。

それを見て、自分の10年後を考えて幾つか疑問を持つようになります。

  • ずっと雇われの形(会社の成り行きで左右されて)のままで良いのか?
  • 成功するも失敗するも、自分の頑張り次第の職に就くべきでは?
  • 税金の無駄遣い公共工事が多々ある(税金には別の用途がある)のではないか。
  • 人が歓ぶことが即実感できる仕事がしたい。

もちろん建設業は、インフラ整備も含めて必要かつ重要でやりがいのある仕事です。

ただ私にとっては、誇れる仕事ではあるけれどワクワクする仕事ではない。

そんな気持ちもあと押しとなり、転職する決断をしました。

なぜ飲食業を選んだか、それは利用される人の喜ぶ姿(食事する光景)と、自分の成果がリアルタイムに、肌で感じられると思ったからです。

ただ飲食業を始めるにしても、私は技術を持ち合わせていません。

そこで、働きながらノウハウを習得することが出来て、オーナーも目指せる飲食業フランチャイズチェーンに再就職する形にしました。

将来的にフランチャイズに加盟するということは結局、親会社次第で、店自体が無くなる可能性も否めないのですが...笑(矛盾)

転機3度目 社員から飲食業経営者へ(挑戦の歓び)

いよいよ経営者デビューです。フランチャイジーとして個人事業主になりました。

看板をお借りしますので、親会社の意向には最低限従う必要は有ります。

しかし、売上対策、経費コントロール、人材育成すべて自分の判断が試されます。

オーナーであった約15年間は、経営に影響を及ぼす外的要因も色々味わいました。

  • リーマンショック
  • 東日本大震災
  • 新型コロナウイルス

不景気・電力不足(計画停電)・時短要請、それぞれの時代を思い起こせば、収入面も含め、確かに大変な経験でした。

その反面、店舗改装により売上大幅アップ、移動販売車導入など色々挑戦する経験も出来ました。

私にとって、飲食店経営はワクワクする仕事です。

お客様に快適な食事の場を提供する。それを継続することによって、地域の雇用及び私の収入にもつながる。

収入以外にも、成果や失敗が即実感でき、それでいて再挑戦もすぐできる。

では、何故辞めたか...それは、

守るべき人達に対して、熱くなれなくなった自分を感じたからです。

個人事業主は出来ても、経営者として下り坂を感じたからです。

このことは、別のブログで改めて書く予定です。

転機4度目 経営者を辞めた今(挑戦は続く)

  • 新しいことに挑戦する
  • 情報を集めて整理する
  • 時代に合わせて変化する

充電期間中は以上のことを意識して行動する予定です。

充電期間中も収入を得るために、アルバイトはするかもしれません。

アルバイト先も上記を意識して探します(50代採用されるかは?ですが)

逃げと転機と挑戦

終身雇用が当たり前だと思っていた、受け身の新卒時代から挑戦を選んだ今の私について長々と書きました。

挑戦と格好よく書いてはいますが、私にとっての挑戦は逃げと表裏一体です。

私の転機はすべて逃げから始まっています。

体制からの逃げ、不安からの逃げ、自分からの逃げ

逃げが転機を生み、新たな挑戦へとつながる。

そんな経験談でした。

 

社会人原点のゴルフ場から帰る途中の車窓ごしに、

昔、現場事務所兼宿舎が建っていた、現在は寂れた資材置場を眺め、あの頃の逃げた自分に報告。

『以前よりは、積極的に新しいことに挑戦する姿勢が備わった自分に進歩して戻ってきたよと。次はゴルフも進歩して戻ってくるよと』

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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