経営者として、人材育成能力の限界を痛感した話・老害になる前に辞める決断

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以前のブログで仕事を辞めた理由を書きましたが、今回は経営者引退の決断したきっかけを書きます。

約15年間飲食店のフランチャイズオーナーを継続した私が、自分の人材育成能力の限界(経営者としての限界)を痛感したこと。

そして誤魔化したまま続けていても老害になる自分を感じ、結果、経営者としての自分に終止符を打ったという内容です。

見切りをつけた時の経営状況は悪くはありませんでした。

ただ自分の年齢からくる「心技体」と情熱の低下は、必ず経営に影響を及ぼします。

利用していただいているお客様のこと、フランチャイズの暖簾をお借りしていること、従業員のこと考えると店舗は良い方向に向かって存続するべきです。

経営状況が安定している今であれば、意欲を持って導ける方に経営を譲った方が、よりその可能性は高くなる。その考えに至りました。

経営資源4要素に『ヒト・モノ・カネ・情報』があります。

物理的にみると4要素は満たされていましたが、

中身をみると、私はヒト(人材)の育成能力が上達していなかった(時代とともにブラッシュアップ出来なかった)

ブラッシュアップ出来ないことは、自分にとってはいずれ経営者として老害化することを意味しました。

痛感した人材育成能力の限界=情熱の薄れ

私が加入していたフランチャイズは、基本的には通し営業、定休日無しの年中無休でした。

自分の休日を作るためには、お店を任せられる人材を継続的に育成する必要があります。

任せられる人材は社員でなくても、パート・アルバイトでも全然可能。

任せられる人材と体制が整っていれば、経営者自身が第一線に立たなくてもお店の運営は出来ます。

実際数年前までは、その体制も整い順調に進んでいました。

ただ、時代の変化に併せて労働環境の改善は必要です。

ある時期に、店を任せていた人材の時代錯誤が顕著に感じとれるようになったため、時代に併せる必要性があること(社会状況に併せて変化することの重要性)の説明を繰り返しました。

しかし、その思いと説明は通じることなく、その人材は去ることになりました。

気持ちを切り替えて、任せられる人材の新たな育成に試みるも、

任せられる=重責としてとらえられてしまい、任せられることの充実感を中々伝えられることが出来ません。

私は時代に併せて変化する必要性は理解していても、時代に併せた育成方法を持ち合わせていなかった(持っていると勘違いしていた)のです。

それでも、当時の私は望みは捨てずに、新たな体制づくりに情熱を注げていました。

ただ結果に繋がりそうで繋がらない、この状態が何回か繰り返すと段々と妥協するようになってきます。

少し前までは、自分に対しても人に対しても熱くなれていたのに、熱くなれない自分に気付きました。

 

私が目指していた人材育成は、任せられる人材を、自分の分身へと成長させることでした。

自分の分身とは、私のビジョンまで理解(信用)してくれる人材で、

ビジョンが共有されれば、自分の分身がさらに新たな分身を育成してくれることにもつながります。

ただ私(経営者)のビジョンを分身(従業員)が理解するということは、経営者目線で物事を考えるということ。

その目線を養ってもらうためには、情熱と根気持って接する必要がありました。

結局のところ私の失敗は、情熱を持ち合わせているうちに、この自分の分身を育てることが出来なかったことだと思います。

人材育成能力の限界(情熱の薄れ)を感じたこと、1つ目の経営者を辞める要因です。

自分が老害になることを恐れた理由

私が考える老害は、年齢に関係なく成功体験や経験に基づいてしか行動が出来なくなることです。

一個人としては挑戦する気持ちはあるのですが、経営者として新しいこと覚えること、新しいことを落とし込むことに柔軟に対応できない自分がいました。

老害になってからでは、自分が老害だとは気付けない...

ある程度年齢を重ねている最近の政治家や経営者、有識者を見ていてそのことを強く感じていました。

私はそうなりたくないし、そう思われたくもない。

老害になりたくない気持ち、それが経営者を辞めることの2つ目の要因(後押し)になりました。

最後に

私は経営者としては、人材と接することには限界を痛感しました。

でも一個人として、人と接することに限界は感じていません。

一人の人間としては、これからも新しいことに挑戦して老害化を防ぐ予定です。

 

私の経験談が、皆さんの人材育成や老害について考えるきっかけに少しでなれば嬉しく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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